訪れる理由
リージェンツ・パークの広大な敷地の大部分は自然公園となっており、前述のクィーン・メアリー・ガーデンの他にアヴェニュー・ガーデンなどの庭園、サギや水鳥の繁殖地で夏にはボート遊びもできる湖、子供たちのための遊び場などがある。イギリス式庭園やイタリア式庭園などさまざまな種類の庭園があり、人々を楽しませてくれる。人々を楽しませると言えば、インナー・サークルには夏になるとシェークスピアの演劇などが上演される野外劇場がある。また敷地の大部分が芝生に覆われているので人々が自由にスポーツを楽しんでいる。リージェンツ・パークで人々が楽しんでいるのは、サッカー、ラグビー、クリケット、フリスビーなどである。サッカーのフィールドでさえ何面も作れるだけの面積があるので、時にその眺めは壮観なものとなる。またテニスコートも公園の南側にある。なお、2012年に開催されるロンドンオリンピックではロードレース競技がリージェンツ・パークにて開催される予定である。
見どころ
- 1930年、王立植物協会 (Royal Botanic Society)に貸し出されていた場所にクィーン・メアリー・ガーデンが整備された。この庭園がリージェンツ・パーク初の計画当初から一般向けと設定された施設である。
- 公園と芸術作品 リージェンツ・パークは文豪や芸術家に愛され、プリムローズ・ヒルほどではないが沢山の文学作品の舞台になっている。以下、リージェンツ・パークに縁がある主な作品である(さらに詳しいリストはをご覧ください)。
詳しい物語
はロンドン北部にある王立公園 (Royal Park)、およびその周辺地域の名称である。公園はウエストミンスター区とカムデン区にまたがり、総面積は約500エーカー (約2.0平方キロメートル)を誇る。公園内には400種類、30,000本以上の薔薇が咲く庭園、野外劇場、運河、スポーツ施設、学校などがありロンドン市民の憩いの場となっている。朝5時から日没までオープン。入園は無料。 公園内の建物 公園内に建物はいくつかあるが、特に重要な建物を3つ紹介する。Winfield Houseは在イギリスアメリカ合衆国大使の大使公館である。アメリカ合衆国大統領がイギリスを訪問する際にはここを訪れることが多い。2009年4月にロンドンで行われた第2回G20首脳会合の際にもオバマ大統領はこのWinfield Houseに宿泊し、ここでロシアのメドヴェージェフ大統領と会談したり、ここからドックランズでの会議に赴いていた。St John's Lodgeはナッシュのデザインが現存する数少ないVilla (庭付きの田舎風邸宅)である。この建物は現在も個人所有であるが、庭園は一般に公開されている。リージェンツ・パーク・モスクの呼び名で親しまれているLondon Central Mosqueは国王ジョージ6世の寄付によって建設されたイスラム教のモスクである。金色のドームが特徴的なこの建物は公園の大部分の場所から見ることが出来るので公園のランドマークになっている。 管理 公園の管理は他の王立公園同様に政府機関であるThe Royal Parksが、公園の自由保有権を保持しているThe Crown Estateと共同で行っている。公園自体はシティ・オブ・ウエストミンスター区とカムデン区にあるがリージェンツ・パークにおけるこれらの自治体の役割は限定的である。 中世、現在のリージェンツ・パークがある土地はタイバーン村の荘園としてバーキング修道院 (Barking Abbey)が保有していた。ところがイギリス国王ヘンリー8世の離婚問題に端を発したイギリス国王とローマ・カトリック教会の対立が激化し、国王はイングランド、ウェールズ、アイルランドにある修道院の解散令 (Dissolution of the Monasteries)を出す。そして国王はこの土地を修道院から接収してしまう。以来、干し草やチーズ製造のために土地が貸し出されたわずかな期間の例外を除き、現在リージェンツ・パークがある土地は英国王室所有となる。英国王室は17世紀当時「メリルボーン・パーク」("Marylebone Park")と呼ばれたこの土地を狩猟場として使用し、女王エリザベス1世や国王ジェームス1世が各国の大使達と狩りを楽しんでいた。 混乱期 1646年、国王チャールズ1世はイングランド内戦で王党派が必要な兵器および弾薬代金の負債に対する担保として、George Strode卿とJohn Wandesfordeの二人にメリルボーン・パークの土地を与え、特許状も発行した。ところが1649年にチャールズ1世がオリバー・クロムウェル率いる議会派に敗北し処刑されると、イングランドは王室を廃止しイングランド共和国となり、前国王の特許状に基づくメリルボーン・パーク所有に関する二人の紳士の主張には誰も耳を貸さなかった。それどころか、英国議会はHarrison大佐が率いる竜騎兵への賃金の原資を確保するため、John Spencerという人物にメリルボーン・パークを売却してしまう。この人物はこの土地に生息していた鹿や大半の樹木を売却した。しかし彼は土地自体に関心を持たなかったこと、また前述の通り英国自体が清教徒革命に伴う混乱期で、結果として土地は荒れ果てた。なお、この土地に鹿が生息したのはこれが最後である。
次の訪問
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屋外見学 · 45–90 分
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